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小池光利。クラブの“生き字引”が語る、『地域と共に』の意味【インタビュー・前編】

『地域と共に』――AC長野パルセイロが掲げてきた理念だ。コロナ禍を乗り越えた2022年、前年と比較して2倍の活動実績を残した。その中心にいたのが、長野エルザSC(AC長野パルセイロの前身)の元選手である小池光利営業・地域コミュニティ推進副部長。前編ではクラブの変化、後編ではOBとしての想いを語る。

自分たちから出向き、きっかけ作りを

――2023年はクラブとしてさまざまな動きがありました。どのような変化を感じましたか?

あっという間の一年でした。地域の皆さまに応援していただくためには、まずはクラブのことを知っていただく必要があります。そう思えば、自分たちから出ていく以外に選択肢はありません。声をかけていただいたところにも、できる限りお応えしたつもりです。

例えば7月には、『須坂カッタカタまつり』でブースを設けて、レディースチームの選手たちが販売員として参加しました。スケジュールの都合でお断りしたイベントもありましたが、なるべく地域に出ていった結果、相当数のイベントに参加しました。

――その中でも、8月の『長野びんずる』は大きなイベントだったと思います。

レディースチームの選手全員が参加しました。そのベースとなったのは、サポーターの皆さまが『AC長野パルセイロ連』として参加していたことです。それがあったからこそ、クラブとして協力することができました。サポーターの皆さまと、より深い関係を築けたのではないかと思います。

選手全員が参加することは想定していなかったですし、こうして地域のイベントに総出したのは初めてだと思います。最優秀連賞を受賞できたのも、とてもありがたいことでした。

――特にレディースチームの選手たちは、積極的にイベントに参加している姿が見られます。

本当にありがたい話ですが、申し訳ないと思うところもあります。選手たちが労力を割いている中で、結果として集客などに繋げられているのか。そこは数字で示していかないといけません。彼女たちの努力が報われて、より多くの方々に試合を見ていただいて、結果に繋がることが一番の目的です。そういった意味では、まだまだ見返りが少ないと思うので、自分たちスタッフがもっと努力していく必要があります。

トップチームもそうですが、本当に人と人との繋がりを大事にしてくれる選手たちです。そのおかげで改めてスポンサーになっていただいた企業もありました。

――小学校でのあいさつ運動も継続的に行っていました。

いつの間にか選手たちがハイタッチをするようになって、それに笑顔で応えてくれる子どもたちがいました。そこから試合を見に来てくれれば嬉しいですね。

あいさつ運動が終わった後に、サッカーボールを持って校庭に集まってくる子どもたちがいました。そこに選手たちが混ざって、一緒にサッカーを始めたんです。綺麗な靴を履いていた選手たちが、それを忘れるかのように楽しんでいて、改めてサッカーの力を感じました。中にはサッカーが嫌いな子もいましたが、選手たちとボールを蹴ったことはずっと忘れないと思います。

――それがサッカーを始めるきっかけになれば、この上ないですね。

シュヴェスター(レディースチームのアカデミー)の選手で、クラブの巡回指導がきっかけでサッカーを始めた子がいました。やはりきっかけは大事ですし、こういった活動のすべてがきっかけになり得ると思います。

地域との繋がりを強化。男女の共存強みに

――年末に砂森和也選手が参加した献血啓発イベントは、突発的に決まったとお聞きしました。

砂森から広報担当に対して、献血の重要性を伝える場がほしいと話がありました。それを私が広報伝いに聞いて、長野県赤十字血液センター様と献血啓発ポスターを制作した縁があったので、連絡をしてみたんです。そこから日本赤十字社関東甲信越ブロック血液センター様に繋いでいただいて、たまたま長野駅でイベントがあることをお聞きして、砂森が登壇することになりました。

――一枚のポスターがイベントに繋がったような形ですね。他にも挙げるとすれば、プロレスラーのドラゴン・ダイヤさんとの繋がりも生まれました。

須坂市出身のドラゴン・ダイヤさんが所属するプロレス団体(DRAGON GATE/兵庫)の試合に、選手が参加させていただきました。そのきっかけとなったのは、天皇杯でヴィッセル神戸とアウェイで対戦したときに、たまたまドラゴン・ダイヤさんが試合を見に来ていたことです。私が行く居酒屋の店員さんがドラゴン・ダイヤさんと知り合いだったので、のちに紹介していただけました。

そうやって地域にはたくさんの繋がりが広がっています。それをいかにキャッチできるかが、クラブにとっては大事なことだと思います。

――ホームタウンの16市町村との繋がりも、より深めていきたいところでしょうか?

それはもちろんです。9月には佐久市の『SAKUサッカークリニック』で、トップチームとレディースチームの選手が子どもたちとサッカーを楽しみました。そういった活動は今後も増やしていきたいと思います。

――特に木島平村との接点が増えた印象を受けます。

木島平村に天然芝のグラウンド(木島平ジュニアサッカー場)があるとのことで、レディースチームの練習で使わせていただくことになりました。

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そのときはまだラインが引かれていなかったので、私と村山哲也強化ダイレクター、トップチームの齋藤薫平主務、佐藤秀樹チケット担当の4人で現地に向かいました。ラインを引くことの大変さを感じましたし、そうやって部署間の連係が図れることも有益です。特に村山強化ダイレクターは社内でも人と人を繋いでいて、大きな役割を担っています。

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――毎年、ホームタウンパートナープレーヤーの制度も設けられています。

千曲市のホームタウンパートナープレーヤーを担当する選手たちが、市の広報担当さまが制作しているYouTubeに出演しました。他にもこのような取り組みをしている市町村があれば、ぜひコラボできたら嬉しいです。

――ご自身はアウェイゲームにも足を運び、観光パンフレットを配布しています。

一つ嬉しかったことがありました。沼津で私の配布したパンフレットを受け取った方が、それをきっかけに長野旅行を楽しんでいたことをXで知りました。長野を訪れるきっかけに繋がっていると思うと嬉しいですし、やり甲斐を感じます。『善光寺表参道食べ歩きチケット付き観戦チケット』も販売していますが、そのすべてが地域の役に立てば、クラブの存在価値に繋がるのではないかと思います。

――ホームタウンデーも、各市町村を対象に行うのは初めてだったと思います。

初めての取り組みということもあって、各市町村で抱き合わせのような形になりました。特産品を販売する都合上、どうしても秋に集中してしまうところもあります。今後は特産品だけでなく、観光のPRという要素もあれば、春に開催して桜の名所を紹介することなどもできると思います。

――ホームタウンデーはトップチームのみで開催していますが、レディースチームも共存していることは、可能性を広げる意味でも大きいでしょうか?

それは間違いないです。抱えている選手の数が倍になるので、その分マンパワーが大きくなります。

地域でサッカーをしている子どもたちへのアプローチは、まだまだ弱いところがあります。選手たちと一緒にボールを蹴ることができたら、子どもたちはずっと忘れないと思います。私も幼少期にヤンマーディーゼルサッカー部の選手たちが来て、プレーを褒められたことはいまでも忘れません。そういったところにもマンパワーを注いでいきたいです。

――2024年に向けては、どんなビジョンを描いていますか?

ホームタウンデーもそうですが、より多くの方と繋がるような活動をしていきたいです。市町村との連係は少しずつ増えてきていますが、まだまだ私たちからできることもあれば、使っていただけるところもあると思います。そのためにも人と人との繋がりが大切なので、クラブを通して輪を広げていきたいです。

後編へ続く

小池光利。クラブの“生き字引”が語る、『地域と共に』の意味【インタビュー・後編】

■プロフィール

小池 光利(こいけ みつとし)

1971年10月23日生まれ、長野県長野市出身。

学生時代は長野少年サッカースクール、信州大学附属長野中学校、長野日大高校でプレー。1991年から1997年まで、AC長野パルセイロの前身である長野エルザSCに所属。引退後は親族経営の企業に勤めつつ、クラブとの接点も続く。サポーターや社内ボランティアを経て、2020年に正社員として参画。現在は営業・地域コミュニティ推進副部長として、ホームタウンに日々赴いている。

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