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小池光利。クラブの“生き字引”が語る、『地域と共に』の意味【インタビュー・後編】

『地域と共に』――AC長野パルセイロが掲げてきた理念だ。コロナ禍を乗り越えた今年、前年と比較して2倍の活動実績を残した。その中心にいたのが、長野エルザSC(AC長野パルセイロの前身)の元選手である小池光利営業・地域コミュニティ推進副部長。前編ではクラブの変化、後編ではOBとしての想いを語る。

小池光利。クラブの“生き字引”が語る、『地域と共に』の意味【インタビュー・前編】

選手、サポ、社員――。クラブと歩んだ半生

――ご自身は前身である長野エルザSC時代も含め、約30年に渡ってクラブに携わってきました。その経緯を教えてください。

エルザに所属していたのは、1991年から1997年までです。もともとは実業団チームでプレーしていましたが、練習場に小湊隆延さん(現産業能率大学監督/元長野エルザSC)がよく来ていました。「一緒にサッカーをしよう」と熱心に誘ってくれて、すごく嬉しかったです。「そこまで誘っていただけるなら…」と思って、意を決して会社を辞めることにしました。

――1997年までプレーして、そのまま現役を引退したのでしょうか?

そうですね。1996年に北信越リーグ昇格を決めて、1997年の開幕戦がリバーフロントでのアルビレックス新潟戦でした。アルビの応援バスが複数台来て、土手で旗を振っているのを見て、新潟のサッカー熱を肌で感じました。

僕自身は膝が動かなくなっていて、もうボールを蹴るのが難しい状況でした。のちに長野日大高校のOBチームに入りましたが、プレーすることはほとんどなかったです。その中でエルザはどんどん上を目指していて、権堂の居酒屋に会員募集のポスターが貼ってありました。僕は募集していることを知らなかったですし、誘われてもいなかったので、「なんで?」と少し反発していました(笑)。それでも後輩たちも頑張っていたので、新聞で状況だけは追っていたんです。

そこから2006年11月に、エルザがAC長野パルセイロに改称することが決まって、OBたちが南長野で集まる機会がありました。名前が変わることに寂しさもありましたが、「頑張れよ!」という気持ちもあって、自分の中でわだかまりが消えていきました。

――ちなみに当時は、どんな活動をしていたのでしょうか?

バス釣りの競技に熱中していました(笑)。私が通っているボート屋に大橋良隆が来て、「パルセイロの選手です」と言われました。大橋はしょっちゅう来ていて、共通の友人も含めて「一回見に来てください」と誘ってくれましたけど、実は断っていたんです。

ようやく初めて試合を見に行ったのが2011年でした。相手はSAGAWA SHIGA FCで、左サイドバックに旗手真也(現AC長野パルセイロ運営担当)がいました。私は試合よりもゴール裏に目が行って、こんなに応援してくれる方が増えているんだと感動しました。「もともと自分もここにいたんだよな…」という気持ちと、懐かしい方々に再会した嬉しさがあって、そこから試合を見に行くようになりました。2012年には天皇杯でJ1の札幌と対戦して、アウェイまで応援に行ったことを覚えています。

――そこからサポーターになっていったのですね。ゴール裏で応援していたのでしょうか?

2013年はHINCHADA NAGANO(サポーターグループ)と一緒に活動して、集客も手伝っていました。ただ、応援するよりも試合をじっくり見たい気持ちがあって、2014年からは一人で見るようになりました。そうしていたら、ある試合で運営担当の満田浩貴が隣に座ってきて、「J3になって人手が足りないので手伝ってほしい」と言ってくれたんです。その年はホームゲームでは社内ボランティアとして、アウェイゲームではサポーターとして活動しました。

――サポーターとして活動していた中で、思い出深いエピソードはありますか?

2016年の開幕戦です。アウェイの大分まで飛行機で行って、空港からレンタカーでスタジアムに向かいました。試合に負けてしまった上、帰り道で縁石に車をぶつけてしまったんです。車を借りるときには「絶対に大丈夫だ」と思っていて、保険に入らなくて…。なけなしのお金で行ったんですけど、修理費が8万円かかると言われました。

そのときに同乗していたサポーター仲間が、「自分たちも『大丈夫だ』と言ったから…」と修理費を一部負担してくれたんです。サッカーで繋がった人たちの温かさを改めて感じた瞬間でした。

――そこから正式に社員となったのは、いつ頃でしょうか?

2020シーズンが終わった後に、正式にオファーがありました。その年は最終節で負けて、昇格を逃したこともあって、何か自分が力になれないかと思っていました。家族もいたので悩みましたが、残りの人生を考えれば、それこそが私のやりたかったことでした。

ダービー勝利に涙。新たな景色へ向けて

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