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旗手真也氏、強化担当に就任。クラブOBとしての懸ける想い【インタビュー・後編】

2013年、活動休止となったSAGAWA SHIGA FCからAC長野パルセイロに加わった旗手真也氏。加入から2年間はケガに苦しみ、天皇杯1試合の出場に留まる。契約満了を受けてそのまま引退し、クラブの運営担当へ。9年間にわたって同職を担い、今年から新たに強化担当へ着任した。前編では強化担当としての決意、後編ではクラブOBとしての想いに迫る。

取材日:2月9日

旗手真也氏、強化担当に就任。クラブOBとしての懸ける想い【インタビュー・前編】

運営担当として9年間。ダービーの裏側も

――ご自身は2014年に現役を引退しました。その後、クラブのフロントに参画した経緯を教えてください。

契約満了を告げられると同時に、普及担当として入社の誘いを受けました。同じタイミングで野澤健一(現C.F.BARRO代表/市立長野高校コーチ)も引退して、広報担当として話をもらっていたんです。私自身は応援してくれたサポーターに恩返しがしたかったので、よりサポーターに近い運営担当をやりたいと言いました。そうしたら野澤は野澤で、現場をやりたいと言ったんです。私は現場ではなくフロント、野澤はフロントではなく現場をやりたいということで、お互いに合意に至りました。野澤はU-18のコーチを務めて、私も普及の仕事を週に2回くらいは手伝っていました。

――9年間にわたって運営担当に従事しましたが、どんな面白みを感じましたか?

各所と調整をしながら、ホームゲームを滞りなく運営していく。そこに面白みがありました。ただ、その過程でいろんな方々と関わるので、深い関係性を築いていく必要があります。それには時間がかかるし、1年や2年で信頼し合えるものではないです。僕の感覚では、最低でも3年はやらないと、何も残らないと思っていました。結果的に9年やりましたが、多くの支えがあってホームゲームは成り立つものだと、改めて感じました。特にボランティアの方々にはすごくお世話になったので、これから恩返ししていきたいと考えています。

――ボランティアの方々の熱意はいかがでしたか?

とにかく尊敬しています。それぞれの休日に、パルセイロの運営業務を手伝っていただく。自分にはできないことだと思います。あとは働いている裏で試合が行われているわけなので、当然見たいですよね。だけど、応援する形をボランティアに変えて、クラブを支えている。本当に尊敬と感謝しかないです。

――そんな方々と手を合わせてきた中で、特に喜びを感じた瞬間はありますか?

ホームゲームの試合後に、ボランティアの方々との終礼があります。勝ったらりんごジュースを飲みながら喜びを分かち合うのですが、その瞬間は最高でした。寒かったり、暑かったり、ずっと立っていたりと、大変な思いがあります。その中でチームが勝ってくれれば、みんなで笑い合って、疲れも吹っ飛びます。そんな瞬間に立ち会えるのが一番嬉しかったです。

――一昨年から信州ダービーも運営していますが、多くの苦労があったのではないでしょうか?

ホームゲームに1万人を超える方々が来て、しかも山雅さんというビッグクラブを迎える。最初はその経験が誰にもありませんでした。「どうしたらいいのか」というところから始まりましたが、協力企業さまの知恵と経験をお借りしながら、なんとか形になったのが1年目。2年目はそこで得た反省を生かし、アウェイ席を全席指定にしたりして、スムーズに運営することができました。

1年目は本当に必死でした。ある程度の入場料収入が見込める中で、経費はこのくらいにしよう。ただ、安全面を重視すれば、お金はどんどん膨らんでいきます。会社として安全を最優先にするということで、目を瞑ってもらった部分もあります。2年目は抑えられるところを抑えて、収入を伸ばす。そういった意味では足りないところもありました。今年は3年目になりますが、収入の幅を広げられるようにしないといけないです。

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