長野県フットボールマガジン『Nマガ』

アラグランデFCの挑戦。スキーの聖地・白馬に新たな文化を ※無料

白馬という地名を聞いて、何を想像するだろうか。リゾート、キャンプ、登山、グランピング…。スポーツファンにとってはスキーの聖地として知られ、ノルディック複合の渡部兄弟(暁斗・善斗)やモーグルの上村愛子ら多くのオリンピアンを輩出している。

そんな北アルプスの麓に新たな文化を植え付けようと、1994年に立ち上がったサッカークラブがある。アラグランデFCだ。

サッカー文化の醸成と、“純血種”の育成

白馬村を拠点に活動する街クラブ。もともと同地域の少年団で指導していた八木淳彦氏と稲田良太郎氏が、中学生のプレー環境を確保すべく、ジュニアユースチームとして立ち上げた。

長野県のサッカーの中心地は長野市と松本市だ。白馬村は長野市に隣接してはいるが、いわば“サッカー不毛の地”。ウインタースポーツに影を潜める存在でありながら、稲田氏は「だからこそ…というところもある」と話す。

最初は身体能力的に一番手、二番手の選手たちはスキーに行っていた。私たちは『対スキー』で進めようなんて全く思っていなくて、お邪魔させてもらうような感覚だった。隣県の新潟とか関東、関西では結果重視だけど、結果はゆっくりと追いかけながら、サッカーの楽しさとか文化を根付かせていった

ジュニアユースでプレーしたのち、帝京高校と流通経済大学に進んだ太田智己(現在はトップチームに所属)は、中学時代にサッカーとスキーを両立していたという。それがいまは進んでサッカーを選ぶ子どもたちも増えており、「サッカーの楽しさをゆっくりでも伝えられたかな」と稲田氏。近隣地域も含めたバスでの送迎や保育園での巡回指導など、地道な活動を続けてきた成果が表れている。

現在はキッズからシニアまで幅広いカテゴリーのチームを抱え、ジュニアユースは白馬校と安曇野校に加えて今春から筑北校を開校。新たにユースチームの設立も視野に入れるなど、裾野を広げている最中だ。

トップチームは長野県中信リーグ1部に所属。ジュニアユース出身のOBで構成され、県外からも選手が集う。県内在住者は白馬村内のグラウンドで練習を積んでいるが、県外在住者は週中に自主トレーニングを行い、週末はレンタカーを借りるなどして試合へ向かう。

それだけの労力をかけてまで帰ってくるのは、地元クラブへの想いがあってこそ。各年代で一貫して指導に励んでおり、「(アスレティック)ビルバオのような純血主義ではないけど、アラグランデの血が流れているのかもしれない」(稲田氏)。

冒頭で挙げた渡部兄弟をはじめ、白馬村出身のアスリートは地元のことを誇らしげに語っている。それと同じようにアラグランデFCの選手も、この地が持つ独特な魅力に惹かれている側面もありそうだ。創設20年目でまだプロ選手こそ誕生していないが、今夏にはスペインでトライアウトを受ける選手も現れるなど、可能性が広がりつつある。

ユース設立へ。経験豊富な指導者が加わる

ユースチームの設立も現実味を帯びている。昨夏には地元の白馬高校から、高校生チームの設立の打診を受けた。村内唯一の高校である同校は、人口減少や少子化の影響もあって存続の危機にある。2016年には、県外からの受け入れも可能な国際観光科を新設。さらに生徒数を増やそうと、メジャースポーツであるサッカーに白羽の矢が立ったのだ。

あとは部活動を選ぶか、クラブチームを選ぶかが焦点となったが、さまざまな指導者の意見も加味してクラブチームを選択。その相談に応じた一人が、稲田氏の東海大学時代のチームメイトである西田勝彦氏だ。

2001年に長岡JYFC(新潟県長岡市)を設立し、帝京長岡高校のコーチも兼務。中学のクラブチームと高校の部活動による“6年スパン”での育成の先駆け的存在となり、小塚和季(水原三星ブルーウィングス/韓国)や谷内田哲平(京都サンガF.C.)を育て上げてきた。

長岡JYFCの理念にあるのが、サッカー文化を根付かせることと、サッカーを通して成長すること。西田氏は22年間指導してきた中で「サッカー文化は長岡に根付きつつあると思う。若いスタッフにもっと任せないといけない部分もある」と話す。そこで今度は白馬村にも文化を築こうと、今年4月にアラグランデFCのスタッフへ赴任。長岡JYFCから指導者派遣という形で隣県に出向いた。

人との繋がり以外にも、この地に縁はあった。三菱養和SC時代には、白馬村で行われた第1回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会に出場し、合宿でも訪れることはあったという。指導者としてもフェスティバルや合宿で同地に赴き、「サッカーをすごく好きにさせてもらった場所でもあった。アラグランデもそうだが、もともとサッカーへの熱い思いを持った人たちがいる。そこに自分が少しでも協力できれば」。

稲田氏にとっては3歳下の後輩だが、「いままでユース年代をしっかり見てきたところもあるし、学生時代から人間性の部分も知っている。そのどちらもリスペクトしていて、私自身も学べることがあってワクワクしている。このチームにもたらすものは大きい」と絶大な信頼を置く。

クラブの発起人である八木氏(兵庫県出身)と稲田氏(茨城県出身)もそうだが、スタッフの大半は県外出身。ジュニアチーム出身の中村崇寛氏をはじめ、県内の血も交えながら育成に励む。その指導者たちが特定の年代に限らず、カテゴリーを跨いで現場に当たることによって、一貫性のある指導を実現。それは西田氏も例外ではなく、ジュニアからトップチームまで幅広い層に目を向けている。

(左から)西田勝彦氏、八木淳彦氏、稲田良太郎氏

すでにユース年代の選手も数名在籍しており、現在はトップチームでプレーしている。ユースチームは早ければ来年にも設立予定だが、「トップチームでもプレーはできるので、慌ててはいない。人数が集まればリーグ戦にも関わっていきたい」と腰を据える。高校年代のリーグ戦・高円宮杯に目を向けると、全国的には街クラブが参戦している例もあるが、長野県には存在しない。そういった意味でも、先駆け的な存在となり得るだろう。

とはいえ「結果が先ではなくて、やり方が先。選手たちにも『どのように勝つか、どのように負けるか』というのは常に言っている。まずは裾野を広げていって、そうすれば自ずと上に行けるのではないか」と稲田氏は言う。雄大な自然に恵まれた地で、アラグランデFCはあるがままに育つ構えだ。

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