フットボールフィリピン

インタビュー|海を渡った指導者たち〜星出悠(グローバル・セブ選手兼任コーチ)前編

photo via global cebu fc

◆フィリピン国内のタイトル獲得でアジアの大舞台へ

グローバルでは2015年までプレーしました。毎年良い選手を補強していたこともあって、常に国内タイトルを争うレベルで戦っていました。優勝するか、準優勝に終わるか、という感じで。主将を務めていたシーズンもありました。

グローバルはフィリピン王者として、AFCプレジデントカップや、その上のカテゴリーのAFCカップといったアジアの大会にも出場を果たしました。また、シンガポールカップにも招待チームとして参加していましたね。年齢的には30代後半に差し掛かっていましたが、特に大きな怪我に悩まされることもなく、結果を残し続けてきたので、ピッチの上ではチームに貢献できたと思っています。

特に、2015年は印象に残るシーズンでした。残念ながらリーグ優勝はできなかったんですけど、僕と、鈴木規郎、柳川雅樹、大友慧、嶺岸光、佐藤大介という、日本人と日系フィリピンハーフの選手で、ピッチの左半分を制圧していました。

僕個人としても、結果的にひとりの選手として、ピッチでのプレーに専念できた最後のシーズンになってしまったので。まさか、翌年にグローバルを離れることになって、選手兼任監督を担うことになるなんて、夢にも思ってなかったですから。

photo by football philippines

◆名門チームの中心選手に舞い込んだ指導者転身の要請

グローバルでのプレーと並行して、MAJの活動にも関与していました。この間にUFLのリーグ規定にいくつかの変更があって、プロの1部もアマの2部にも外国人選手枠ができていました。そうなると、日本人駐在員が主体だったMAJは、UFL2部への参戦を継続することが出来ません。

チームで話し合いが行われて、エンジョイを目的とする駐在員の方々は、MAJのチーム名のままWFL(ウィークエンドフットボールリーグ)という別のリーグに移ることとなり、新たにJPヴォルテスFCを発足させて、外国人枠の日本人プロ選手と、若手の日系フィリピンハーフやローカル選手を集めて、UFLの2部に継続参戦していたんです。

参戦を継続する目的にも変更があって、本格的にUFL1部に昇格することを目標に掲げました。ヴォルテスは2015年シーズンをリーグ2位で終えて、その後の昇降格プレーオフを見事に制して、翌シーズンの1部昇格を決めていたんですよ。

それで、僕に選手兼任の形での監督就任の正式要請があったんです。チームの内情を把握していることと、指導者ライセンスを持っていたからだと思います。当時のUFLはB級ライセンスがあれば監督ができました。僕はYKK APでプレーしていた時に、JFAのB級を取得していたんです。

正直、グローバルを退団することも、選手兼任とはいえ監督になることも、まったく想定していなかったので、誰かフィリピン人でも良いから監督を雇ってほしい、という意見をしました。もちろん、これまでの経緯があるから、その監督へのサポートは惜しみませんよ、という感じで話し合いを重ねましたね。(後編につづく)

【指導者プロフィール】

星出悠(ほしで・ゆう)。1977年生まれ。東京都出身。明治大学卒業後、YKK APで社員選手としてプレー。JFL昇格などに貢献する。チームがカターレ富山として発足するタイミングで退職し渡米する。アメリカの下部リーグでプレーの後、トリニダード・トバゴに活躍の場を移し、強豪ジョーパブリックFCに入団。日本人初となるCONCACAFチャンピオンズリーグに出場する。その後、インドのスポルティング・ゴアを経て、フィリピンの名門グローバルFCに移籍。フィリピン国内で数々のタイトル獲得に貢献し、アジアの大会にチームを導く。2016年にJPヴォルテスFCで選手兼任監督を務め、本格的な指導者の道へ。2017年から選手兼任コーチとして古巣のグローバル・セブFCに復帰。現在に至る。JFA公認B級コーチ。マニラ在住。

前のページ

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ