早野宏史アカデミーアドバイザー「少しでも経験を生かせれば」【アカデミースタッフ・リレーインタビュー】
昨年はU-18、一昨年はU-15が全国大会に初出場するなど、近年実績を残しているAC長野パルセイロの下部組織。さらなる発展に向けて、今年3月には早野宏史氏がアカデミーアドバイザーに就任した。各年代の指導者たちが、どのような思いを持って現場に立つのか。リレー形式でインタビューを届ける。
指導者養成に主眼。「できる限りのことを」
――3月21日にアカデミーアドバイザーへの就任が発表されました。まずはその経緯や決め手を教えてください。
いまもノースアジア大学の総監督として、アドバイザーのような形ではありますが、現場でも指導をしています。この歳(68歳)にもなると、指導者の養成をやっていかなければいけない思いがあります。今回もそれに付随した形で、少しでも経験を生かせればということで話を引き受けました。
大学との兼ね合いもあって、フルタイムというわけにはいかないですが、「それでも――」という声をいただきました。微力かもしれませんが、できる限りのことをするつもりでいます。
――村山哲也スポーツダイレクターとは、G大阪時代に監督と分析担当の関係にありました。レディースチームの廣瀬龍監督とは、中央大学の先輩と後輩に当たります。そういった縁も少なからず影響していたのでしょうか?
レディースチームで言えば、中村圭介フィジカルコーチともガンバで一緒に仕事をしていました。廣瀬監督とは大学時代からずっと付き合いがあるし、その影響も当然ながらあります。彼らがここで頑張っているところに、少しでも力になれれば――。そういう縁も加味した上で、最終的には指導者の養成に携わりたいという思いで引き受けました。
――廣瀬監督とは50年近くの付き合いですね。
大学時代は同じ部屋で過ごしていました。卒業後も私は日産(現横浜FM)、彼はフジタ工業(現湘南)に入って、試合でも顔を合わせていました。そこから教員になるという話も聞いていたし、帝京第三高校に呼ばれて指導したこともあります。当時は西部洋平選手(元清水、川崎など)もいたそうですけど、後から聞いた話なので覚えていないです(笑)。
帝京高校のときも呼ばれましたけど、なかなか力になれませんでした。今度こそは本気で力になりたいと思っています。
――ご自身は現役引退後、日産自動車サッカー部の下部組織を築き上げてきました。アカデミーの重要性というのは、どのように捉えていますか?
まだJリーグがない時代でしたけど、加茂(周)監督は「将来的にプロになるためには、アカデミーが必要だ」というふうに話していました。いまは山雅にいる下條佳明さんがスクールマスターになって、そこに私も入る予定でしたけど、追浜にスクールを作るように言われたんです。4歳児から6年生までのスクールを作ると同時に、ファームチーム(サテライトチーム)の強化も担っていました。まだ30代だったので問題はなかったですけど、いま思えば相当な作業量でした(笑)。
当時はアカデミーというのはプロを支えるものだと、信念を持っていました。いまは大規模なスクールに成長して、立派なクラブハウスもできたので、いずれはそうなるのだと感じています。私は幼稚園からプロまでもそうだし、シニアクラスでも指導していました。長く育成年代に携わっていれば、誰がどれだけ伸びて、逆に誰が落ちていくのかも見えてきます。
マリノスの場合はプロを育てることが大前提で、選手もそのつもりで来ていました。彼らの良いところを見ることはもちろんですけど、そのうちの9割以上がプロになれない現実もあります。そういう選手たちをどうするのかを考えれば、高校ともタイアップしていかないといけません。
指導者として選手を育てつつ、最終的には本人たちの努力も必要です。選手の良いところも悪いところも見えて、楽しさと難しさがあるのが育成というものです。そこに力を入れることによって、地域の密着も必ず図れると思ってやってきました。
裾野を広げつつ、選手の可能性を引き出せるか
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