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浮田健誠の好調を支える分析官。順天堂大の同期コンビが再び共闘

前節・沼津戦でプロ入り後初のハットトリックを達成し、得点ランク首位タイに浮上した浮田健誠。試合後には好調の要因として、「自分を生かしてくれるチームメイトがいること」を挙げていた。

チームメイトというのは、ピッチで戦う選手はもちろんだが、裏方として支えるスタッフもそうだ。とりわけ分析を担当する楠豪テクニカルコーチとは、選手とスタッフの垣根を超えた信頼関係がある。

順天堂大で切磋琢磨。友人としての深い絆

浮田が順天堂大学時代、同期の旗手怜央(セルティック)と2トップを組んでいたのは著名な話だ。互いに1年生からトップチームに所属し、大学サッカー界で名を馳せた。村松航太(秋田)も含め、3人がプロ入りを果たした世代。その中でバックアッパーとして名を連ねていたのが、楠だった。

柏U-18からスポーツ推薦で入部した浮田と、地元の街クラブ・つくばFCから一般入部となった楠。前者はトップチーム、後者は最も下のカテゴリーから競争が始まった。互いに学科も練習時間も異なるため、当初は接点が限られていたという。

それでも入部当時、同期がグラウンドに集ってミニゲームを実施。楠が浮田に抱いた印象は、「大きいのに足元が上手い」。プレーに衝撃を受けつつ、「性格的にも優しくて、一般組の僕らとも普段から関わってくれた」と親しみを覚える。

楠豪

「推薦組で固まるのは嫌だった」と話す浮田も、楠に好印象を受けていた。少数精鋭のユースから大所帯の部活動に移った中で、漢字2文字のフルネームが目に入ってきたという。勤勉な楠に勉強を教わるなどして、「すぐに仲良くなれた」。

浮田健誠

とはいえ当時の楠にとって、ピッチ上での浮田は「到底及ばない存在」だった。彼がトップチームに昇格したのは、3年生のときだ。右利きながら左サイドバックの楠と、最前線に構える浮田。公式戦で共演する機会は限られたものの、クロスの練習などで切磋琢磨していた。プライベートでも共に過ごす時間は長く、友人として深い絆があった。

大卒5年目の再会。選手とスタッフとして共闘

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