ロシア出身のベトナム代表守護神、月給200USDも経験した苦労人<2/2>
ベトナムのチームに馴染めずラオスに追放
記者:チームメイトやスタッフたちは、最初からあなたのことが嫌いだったのですか?
ラム:異端者だからです。例えば、ロシアでは指導陣との距離も近くて、何か不満があれば直接意見を言うこともできます。指導陣も選手の話に耳を傾けて、一緒に解決策を探してくれます。でも、アジアでは違います。指導陣はいつも正しい存在で、そこに議論の余地はありません。年齢が高いほど博識とされて、目上の人と向き合うときは目線を下げないといけません。以前の僕は、そんなこと知りませんでしたから、指導陣にも思ったことをそのまま言っていたんです。時には言い争いになることもありました。ベトナムでは、そのような態度は傲慢と見做されます。2シーズン目、クラブは僕をラオス(姉妹クラブのホアン・アイン・アッタプー)にレンタルしました。
記者:ラオス時代はどうでしたか?
ラム:きっと想像もつかないでしょうね。国内リーグも発展しているとは言い難いものでした。でも、ラオスに行ったことを後悔してはいません。僕にとっては挑戦だったし、貴重な時間だったと思っています。
記者:ラオスでの試合について教えてもらえますか?
ラム:色々なことがありました。ベトナムも気温は高いですが、ラオスも酷い暑さでした。テレビで強風注意報が流れたら、外に出ない方がいいでしょう。クラブはチームバスを持っていて、練習場まで選手を送ってくれました。でも、バスはしょっちゅうエンジンがかからなくなって、選手たちは毎回、エンジンがかかるように10~20m押していました。しかも、車内にエアコンはなく、灼熱地獄でした。シートは火傷するほど熱を帯びていて、水をかけてから座らなければなりませんでした。ラオスで1年プレーして、僕たちのチームはリーグ2位。僕が一番優秀なGKでした。そのシーズンが僕にとって、最初のプロシーズンでしたね。
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