【ベトナムサッカー回顧録】現在まで繋がる八百長サッカーの歴史
1980年にセミプロ大会として発足した「サッカーA1全国選手権(ベトナム全国選手権)」だが、初年度から様々な問題が浮き彫りとなった。特に問題視されたのは、現在も続く八百長の存在だ。
八百長の歴史の始まり
「Vリーグ」の前身となるベトナム全国選手権は今から43年前に誕生した。それまでは各地で分かれてサッカー大会が開催されていたが、初めて全国大会となったことで、ファンからは大きな注目を集めた。まだプロではなく、セミプロ扱いだったが、当時からベトナム人はサッカーに夢中で、スタジアムには常に熱狂があった。
そんな全国選手権だが、開幕したばかりだというのに、八百長の噂が絶えず人々の好奇の目を集めることとなった。現在では、「tiêu cực」、「bán độ」、「làm độ」といった言葉で表現される八百長だが、当時はフランス語を語源とする「Combin=Combine(ずる賢い手口、謀略)」という言葉が使われていた。
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