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ベトナムサッカー躍進の立役者たちの知られざる秘話 最終回 “終わった監督” 批判の中で突如始まった快進撃。栄光の時代と、近づくフィナーレの時。

パク・ハンソ氏は、60歳以下、AFCプロライセンス、国家レベルの代表チーム指導歴といった、ベトナム代表監督を選ぶ上での諸条件を全てクリアしていた。しかし、世間では国外からの指導者招聘に依然として懐疑的な意見もあった。

ベトナム代表の新監督を選んだ際には、ベトナムサッカー連盟(VFF)のチャン・クオック・トゥアン筆頭副会長とドアン・グエン・ドゥック副会長(HAGL会長)が詮索好きの大勢の人々の視線に晒された。

彼らはパク氏の情報を探り出し、その経歴を見て、“終わった監督”と騒ぎ立てた。パク氏には、2002年の日韓ワールドカップで、フース・ヒディング監督をコーチとして支え、韓国代表のベスト4躍進に貢献したという実績があったが、その後は目立った実績がなく、ベトナム代表監督就任以前は、K3リーグの昌原市庁FCを指導し、8チーム中6位という成績だったことでメディアが批判を始めたのだ。

Photo:Bongda+

それから、彼らはパク氏のことを“居眠り男”と呼び始めた。これは、パク氏が試合中のベンチで、瞑想するように瞼を閉じて座っていることがあることから付けられたニックネームだ。その後は選手選考に関する邪推が始まった。要約すると、パク新監督は、代表監督人事に大きく関わった、HAGLのドゥック会長の肝入り選手ばかりを重用するだろうというものだ。

批判の嵐の中、ドゥック氏はいたって冷静だった。

「世間が批判的な声を上げるのは普通のこと。それを避けることも難しい。どれだけ優秀でも貶す人はいる。私が言いたいことは、褒めてくれる人にも、貶す人にも、誰にでも私は感謝の気持ちを持っているということだ。」

輝かしい時代の幕開け

2017年10月11日、パク氏はベトナムを訪れて正式にベトナム代表 兼 U-23代表監督に就任した。とてつもないプレッシャーがあったはずだ。当時のパク氏はベトナムサッカーに関する見識も殆どなく、代表監督の職務を遂行するためには、すべきことが山積みだった。パク監督は就任後、最初の大会である国際親善大会「M-150カップ2017」(@タイ・ブリーラム、12月9日~12月15日)にU-23ベトナム代表を率いて出場した。この大会のため、全国に足を運んで選手選考を行った。

この大会には、日本、ウズベキスタン、タイ、ミャンマー、ベトナム、北朝鮮の6か国の23歳以下の代表チームが出場した。ベトナムはこの大会で、当時まだ苦手意識があった宿敵タイとの3位決定戦に挑み、FWグエン・コン・フオンの2ゴールにより2-1で勝利した。この結果には、パク監督を連れてきたドゥック氏も安堵のため息をついた。

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