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32歳の「オールドルーキー」は、タイリーグのレジェンド。「タイ育ち」のボランチがJの舞台に乗り込む【櫛田一斗(いわてグルージャ盛岡)インタビュー<1/2>】

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タイリーグとJリーグの間で選手の移動が活発になっている昨今。日本人選手がタイリーグでプレーする動きが10年ほど前から本格化し、一昨年からは反対にタイ人選手がJリーグにやってくるようにもなった。そして両リーグ間の選手移動にはもう一つ、日本への「逆輸入」とも言えるものがある。タイリーグで実績を残した日本人選手がJリーグクラブに移籍加入するパターンだ。タイの強豪であるブリーラム・ユナイテッドで主力として活躍し、2014年にJ1セレッソ大阪に加入した平野甲斐などが主な例と言える。

今季、J3いわてグルージャ盛岡に加入したMF櫛田一斗も、タイリーグで名を上げた「逆輸入」選手。2011年にJFLの佐川印刷SCからタイリーグの名門チョンブリーFCに移籍すると1年目から全試合にフル出場して、連続フル出場のリーグ記録を樹立。2年目の2012年にはリーグベストMFに選出されるなど、タイリーグを代表する選手のひとりとして活躍した。その後、2016年までタイでプレーしたあと、2017年からの2シーズンはオーストラリアに戦いの場を移す。そして今季、いわてグルージャ盛岡への加入となった。

盛岡加入後の今年2月3日、櫛田はタイで開催された元タイ代表ピポプ・オーン・モーの引退試合に出場した。タイリーグで通算100ゴール以上をマークしたチョンブリーFCのレジェンドの引退試合に招待された外国人選手は数少ない。櫛田の名は、タイリーグの歴史に確かに刻まれている。プロ人生の大半をタイで送ってきた櫛田は、今年32歳。彼はなぜ今、J3の舞台で戦うことを決めたのか。その経緯や思いを聞いた。

<目次>
◎「アジアスタイル」でチーム探し
◎ワーホリでプレーしていたオーストラリア時代
◎いかにしてタイで成功を掴んだのか

「アジアスタイル」でチーム探し

──櫛田選手はタイでプロキャリアをスタートさせて、タイで名声を得ました。その後、オーストラリアでの2シーズンがありますが、まずは今回、いわてグルージャ盛岡に入団することになった経緯から教えてもらえますか。

櫛田 オーストラリアでのシーズンは9月に終わるので、そのあと日本に戻ってJリーグでチームを探していました。シーズン中は練習に参加することも難しくてなかなかチームが決まらない状況が続いていましたが、最終的にグルージャからオファーをいただいて入団することになりました。

──日本でのチーム探しは、どのようにしていたのですか。

櫛田 代理人などは付けずに、いろんなつながりを頼ってチームを紹介してもらってプレー映像を送っていました。アジアスタイルです(笑)。J2、J3のクラブを中心に10チーム以上は送ったと思います。シーズン中だったのもあって昇降格がかかっているチームなどはあまり返事ももらえませんでしたし、経歴や年齢的に興味を持ってくれないクラブも多かったと思います。若い選手を獲りたいから、という感じで。9月から11月の半ばくらいまで何も動かない時期が1カ月半くらいあったので、なかなかしんどかったですね。さすがにいきなり行くわけにはいかないので、反応がないと動きようもないですから。

──最終的には、盛岡への入団はどういう形で?

櫛田 グルージャと、J3でもう1チーム練習に参加させてもらえることになって、グルージャには4、5日間くらい練習参加してオファーをいただきました。タイに行く前に所属していた佐川印刷SC(当時JFL)時代のGKコーチ(新沼泉氏)が今グルージャにいるという縁もあったので、どういった選手かということが伝わっていたのもあるかもしれません。

──櫛田選手であれば、たとえばタイでチームを探せば好条件のオファーもあったかもしれません。なぜ今、Jリーグに挑戦しようと思ったのでしょう?

櫛田 最後というわけではないですが、やっぱり1回は日本でやりたいという気持ちがありました。年齢的にも日本でやるならこれが最後、ラストチャンスかなと。

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