フットボールフィリピン

インタビュー|フィリピン代表佐藤大介ムアントン・ユナイテッド移籍の真相(後編)

J論プレミアム(2020年1月15日)のインタビュー記事を再掲します

フィリピン、デンマーク、ルーマニアのクラブチームを渡り歩いたフィリピン代表の中心選手佐藤大介は今、チャナティップやティーラトンを輩出したタイのビッグクラブ「ムアントン・ユナイテッド」でプレーしている。多くの選択肢から東南アジアへの回帰を決断するに至った、その理由と経緯を聞いた。

取材・写真=池田宣雄(フットボールフィリピン編集長

photo by football philippines

▼KリーグがASEAN枠を導入、Jリーグには提携国の障壁

実は11月に入ってからKリーグのチームからもお話がありました。そのチームはASEAN枠での補強には積極的ではなかったらしいのですが、アジアカップ(韓国戦)での僕のパフォーマンスを気に入ってもらえて。サイドのアグレッシブな選手を取ることになったみたいだったのですが、残念ながらチームが2部に降格してしまって流れてしまいました。

もちろん、ムアントンとの契約も残っているので、1部に残留していたとしても移籍できたかどうか分かりませんが、タイとマレーシアに続いて韓国でもASEAN枠が導入されたことは、東南アジアの選手たちにとっては大きなチャンスであることは間違いないです。特にアスカルスの選手たちにとっては、Jリーグの提携国にフィリピンが入っていないので、今のところは日本でプレーするチャンスはほとんどないですからね。

アスカルスの選手たちは「個」の強さとか海外での経験とか、他の東南アジアの選手たちよりも助っ人選手としては相応しいと思います。でも、マーケティングとかその辺の「価値」は他の国の選手と比べるとどうしても劣ります。日本や韓国のチームが「個」を求めるのか「価値」を求めるかで違ってくると思います。

僕がフィリピンのグローバルでプロになって、アスカルスでもデビューした年のオフに、J2のチームに練習参加する機会がありました。選手たちに混ざってやっていてもレベルの違いは感じなかったし、具体的な条件も出してもらえたんです。でもその時にフィリピンのスポンサーを連れてきて欲しいと言われてしまって。僕の「個」を評価していたのではなく「価値」ありきだと分かったのでフィリピンに帰りました。

Jリーグの提携国枠の件は、もちろん以前からすごく気にしているところです。どうしてフィリピンだけ提携国じゃないのか。アスカルスのヨーロッパ出身の選手たちは、Jリーグでも助っ人選手として普通にやれるはずです。もちろん僕自身もレベルの高いJリーグでプレーできるのなら最高です。ですから次のJリーグ提携国はフィリピンであって欲しいですね。

▼インターナショナルな選手として心掛けていること

監督やチームメイトとのコミュニケーションはかなり大事だと思います。自分で言うのもなんですけど、僕はその辺は結構長けている方だと思うんですよ。小さい頃から人と接することや話すのが好きで、新しい環境でも常に自分から積極的にコミュニケーションとか取るタイプだったんで。やっぱりそうしていかないと、自分の居心地が良くならないじゃないですか。

自分が気持ちよくプレーするために最初にコミュニケーションを取っておく。英語がほとんど通じなかったルーマニアでも現地の言葉を喋っていました。僕がいた(ルーマニアの)ヤシとかセプシは地方のチームだったので、英語が通じない選手が多かったです。だから最初の3ヶ月ぐらいは大変でしたけど、僕が喋れるようになってくるとチームメイトも気さくに接してくれるようになりました。

ルーマニアの言葉はラテン語系なので、フィリピンの言葉(タガログ語)と似ているところがあって覚えやすかったです。僕はタガログ語も喋れるので、フィリピンのローカル選手とも積極的に話しています。自分の居心地だけじゃなくてチームメイトもたぶん同じだと思うんですよ。お互い気持ち良くいれるようにその辺は心掛けています。

努力というよりは自分が好きなんでしょうね。英語とタガログ語は小さい頃から家の中で喋っていました。オランダ語には英単語が結構混ざっていますし、ルーマニア語はイタリア語のような雰囲気もあったので覚えられました。でもタイ語にはこれまで経験したことのない発音とかあるので、ちょっとむずかしいかもしれないです。

ムアントンのガマ監督は英語でやっています。チームメイトにミャンマー人のアウン・トゥがいましたけど、彼はちょっと辛かったと思います。監督の英語をタイ人の通訳がタイ語に、それをミャンマー人の通訳がミャンマー語に訳していましたから。

▼フィリピン国歌を斉唱する本当の意味

応援してくれている方々からは褒めてもらえますね。国歌はすべてタガログ語ですので、アスカルスのチームメイトのほとんどが歌えないです。でも僕は、それこそフィリピンがなかったら、人生どうなっていたか分からなかった訳ですから。ちゃんと覚えましたよ。

フィリピンという国には、本当に助けてもらったという気持ちがあるんです。

(了)

佐藤大介(Daisuke Caumanday Sato)
1994年生まれ、フィリピン・ダヴァオ出身。浦和レッズジュニアユース/ユースと仙台大学を経て、2014年に母親の母国フィリピンに渡りグローバルFCと契約し、同年にフィリピン代表初キャップを記録。その後はルーマニアとデンマークのクラブを渡り歩き、2019年途中からタイのムアントン・ユナイテッドに所属。フィリピン代表としてこれまで国際Aマッチ49試合に出場。

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