長野県フットボールマガジン『Nマガ』

砂森和也「言葉でまとめられないくらいの感謝がある」【活動復帰コメント】※無料

――愛娘の看病によるチーム活動休止から、約5カ月ぶりに復帰しました。初日は軽めのトレーニングを行いましたが、いまの心境はいかがですか?

家族のことで活動休止という形を取らせてもらいました。もちろん家族を優先して休んだところはありますけど、それとは別にメンバーから外れて迷惑をかけている部分もありました。ようやく戻ってこられるようになって、選手のみんなが快く迎え入れてくれたのが率直に嬉しかったです。また緑色の芝生の上で動けることに関しては、勝敗うんぬんとかの前に、サッカーができる喜びを感じることができました。

――活動休止以前にも負傷離脱があったりと、思うようにいかない部分はあったと思います。

シーズンが始まって開幕戦にスタートで出て、ケガをして…という繰り返しをしている中での離脱でした。今回に関してはケガではなかったし、そこまで考えている余裕もなく、バタバタと対応することになりました。そこはまだ整理できていないところもあります。時間はかかりましたけど、戻ってこられたことに関しては、僕の中で小さい一歩を踏めたかなと感じます。

――活動休止の間は、トレーニングはあまり積めていなかったのでしょうか?

普通だったらケガをして、復帰に向けて「この周期でやる」というのが、長期離脱の流れだと思います。僕の場合はいつ復帰できるか、全く計算がつかないまま離脱していました。べったり(娘に)付き添っていたかと言えば、妻と交代しながらやっていました。動けるときはコンディションを上げるというよりは、自分の中でサッカーの火が消えていかないように。本当に先が見えなくて、いつできるのかも分からなかったので、何かしら自分を奮い立たせるようなことをしました。

朝早くもそうだし、深夜帯に走ったこともありました。チームにおんぶに抱っこのまま戻っても仕方ないし、戻ったタイミングでパルセイロの一つのピースとして機能できるように。そんなに量は多くなかったですけど、考えながらやっていました。

――ボールトレーニングはなかなかできていなかったのでは?

(長野に)来たばかりで芝生があるところも分からなかったし、家にボールもありませんでした。実家に帰ったタイミングで持ってきたボールでやったりはしていましたけど、それがトレーニングと言えるかは、また別の話です。足の感覚を慣らすくらいのことだったと思います。

――チームとしては、ホームでのダービー勝利後の急失速や、監督交代もありました。

僕はダービーの前にいなくなって、もちろん気にしていなかったわけではないです。タイムリーに試合は見られなかったですけど、スコアを見たときに負け越したり、勝ちがない状況がありました。その中でも「どうにかして力になりたい」という想いはあって、でも現実的に自分が稼働できるかと言えば、すごく難しかったです。前監督(シュタルフ悠紀監督)も連絡はくれていたし、「僕にできることがあれば…」という話もしました。また違った形ですけど、貢献の仕方を自分の中で模索していた時期もありました。

3連敗して、2引き分けが続いて。5戦勝ちなしとなるかもしれないですけど、その2分けから一つ勝てば3戦負けなしが続くわけです。みんなの1位だったときからのメンタルの部分で、断ち切れる何かのきっかけになりたいとずっと思っていました。

――シュタルフ前監督からは、第22節・鹿児島戦の前に連絡があったとお聞きしました。

鹿児島は強い相手ですけど、4年いたのですべて分かっているし、やり方もフォーメーションも変わっていませんでした。そこで「何かできることがあれば…」と連絡はしました。

――チームメイトとも連絡を取ることはありましたか?

みんな連絡はすごくくれたし、「何かできることがあれば…」とキャプテンのアキ(秋山拓也)も連絡をくれました。ぶどう狩りに行ったらぶどうを持ってきてくれたり、みんな大変な状況なのに、こちらにも気をかけてくれました。すごく救われている部分はありました。

――髙木理己監督とは、今日初めて対面したのでしょうか?

初めてです。就任したタイミングで僕からも連絡をすればよかったですけど、理己さんのほうから連絡をくれました。「サッカーよりも大事なものはある」とは言っていただきました。

――各クラブが募金活動や横断幕などで、ご自身の家族を後押ししていました。それを受けてどう感じましたか?

言葉でまとめられないくらいの感謝があります。僕自身はJ2にもいましたけど、J1のサポーターであれば、名前すら分からない方もいたと思います。それでもサッカーの輪に入っている皆さんに、今回のような事例が起きたときにすぐ動いていただいたのは嬉しかったです。

僕は病院にいて、いろんな世界を見てきました。「僕の家族だけが救われればいい」という世界ではないところにいました。サッカーの力を使いながら、今度は一般の方も助けられる立場になりたいです。これが何かのきっかけになればいいし、すごくパワーを感じました。

ネットだけで調べて「これくらいだろう」と憶測で議論するのではなくて、僕は病院に入ってその世界を見てきました。それを伝えて、絶対に支援が行き届くようにしないといけないです。今日も取材していただいて嬉しいし、ラジオでも(ニュースを)聴きました。それが何かのきっかけとなって、誰かが行動に移してくれることが、何よりも大事になってくると感じます。

支援金ではなくても、献血もそうだし、ドナー登録一つでもいい。これだけSNSが流行っているので、拡散でもいいと思います。何かしらのきっかけでスタジアムに友だちを連れて見にきて、献血をやっているから「少しやってみようか」と言ったら、誰かしらの血液がどこかで欲しがっている人のところに届きます。それがすごく力になります。

――チームは昇格の可能性こそ絶たれましたが、5試合を残しています。ご自身はどう貢献していきたいですか?

現実的に言えば、これだけ離脱しているので、どれだけ戻せるかは正直分からないです。でも戻るという覚悟を決めた背景として、僕はこのクラブに呼んでいただいた立場だし、どこかで目処がつくのであれば絶対に戻りたいという気持ちを強く持っていました。

今年はJ3優勝を掲げていました。当時で言えば、みんなすごく良い雰囲気でやっていたし、あまり負ける気はしなかったです。いまはこうして下の順位にいますけど、そこ(上)にいたという事実もあります。人がガラッと変わったわけではないので、みんなでこのクラブに対してできることをしっかり考えていけば、次に繋がることは絶対にできます。

僕自身も戻ったからには、そこで貢献すること。もちろんピッチに立つ、結果を出すというサッカー選手としての仕事ができれば一番いいし、そこを目標としてリハビリを始めます。そうではないところでも貢献はできると思うので、ただもったいない時間を過ごさないように。本当に時間は大事だし、出られる、出られない、勝ち負けよりも、サッカーができる幸せをすごく感じました。ラスト5試合の期間で、もったいない過ごし方をしないようにしたいです。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ