長野県フットボールマガジン『Nマガ』

美濃部直彦監督から感化。野澤健一が北信サッカーを変革する ※無料

「絶対に指導者になるタイプではないと思っていた」。そう微笑む野澤健一氏も、指導者になってもう9年目だ。2014年に現役を引退して以降、北信サッカー界で道を切り拓いており、この地域の“キーマン”と言っても過言ではない。2017年に自身が創設したサッカークラブ『C.F.BARRO』も、着々と階段を上っている。

長野県松本市出身。松本美須々ケ丘高校を卒業後、立正大学に進学し、その後はジェフユナイテッド千葉のセカンドチームと佐川印刷SCでプレーした。2009年に当時北信越1部のAC長野パルセイロへ加入し、JFL昇格とJ3参入に貢献。2014年をもって現役を退き、翌年から指導者としての道を歩んでいる。

引退したのは30歳の年。「現役を続けたい気持ちはあった」と吐露する一方で、とある指揮官との出会いが人生を変えた。

美濃部直彦監督だ。

緻密な指揮官のもと、29歳にして成長を実感

京都サンガF.C.と徳島ヴォルティスを指揮していた美濃部氏は、2013年にAC長野パルセイロの監督へ就任。同年にJFL優勝とJ3参入を果たすと、翌年にはJ2・J3入れ替え戦へと導いた。野澤氏はその“激動の2年”を美濃部監督とともに戦い、2年目のシーズン終了後に引退を表明した。

選手としてはボランチの位置でハードワークを売りにしていたが、決して技巧派ではなかった。それでも美濃部監督のもとでの1年目は、33試合中28試合に出場して契約を延長。「ミノさん(美濃部監督)の中では『難しいかな…』というのもあったと思うけど、地元出身選手というのも考えて、1年伸ばしてもらえたのかな」と回顧する。

当時は29歳だったが、「考える力がついてきて、サッカーの楽しさを感じた」という。その礎にあるのは指揮官の教え。毎週行われる2〜3時間のミーティング、映像やマグネットを用いての細やかな落とし込みなど、緻密な指導ぶりに多くを学んだ。それを受けて2年目には選手活動と並行し、B級ライセンスを取得。リーグ戦19試合に出場したのち、大卒から9年間の現役生活に終わりを告げた。

引退を表明した際のコメントには「ここ以外で現役を終える選択肢を選べなかった」と記されている。長野県で生まれ育ち、高校時代には国体少年男子の選抜メンバーにも招集。選考を兼ねたオランダ遠征において、帯同した指導者たちからサッカーを教わり、「いろいろな人に育ててもらった」と話す。その経験もあって「自分もこの地に何か還元できることはないか」と考え、指導者としてのセカンドキャリアに踏み切った。

指導者1年目の2015年は、AC長野パルセイロU-18のコーチを務めた。当時のチームは市立長野高校と提携を結んでおり、選手たちは1年生をユースで過ごし、2年生から市立長野の選手として活動。野澤氏が在籍した期間は1年のみだったが、その間に当時1年生の山中麗央(現AC長野パルセイロ)と新井光(現FC今治)を指導した。

2016年には小学生向けのサッカースクール『SAL』を創設。市立長野高校のコーチとボアルース長野(フットサル)の選手も並行し、三足のわらじを履いた。そして2017年にC.F.BARROを立ち上げ、スクールに加えてジュニアユースも設立した。

「パルセイロのユースに入ったときに、ジュニアユースのセレクションを100人受けていることを知った。市立長野の選手も同時に見ている中で、中学年代は高校で飛躍するために大事な時期だと思っていた。それでジュニアユースのチームが必要だと思って、自分で立ち上げた

2017年のA級ライセンス取得後にチームを立ち上げ、2018年から1期生を迎えて指導。当時の教え子は現在、高校3年生となり、市立長野高校や長野日大高校で活躍している。

市立長野高校の選手たち

少数精鋭の選手と、充実のスタッフ陣

C.F.BARROは1学年20名と少数精鋭だ。その狙いとしては、出場機会の確保がある。力量はそれぞれだけど、この年代で活躍している選手たちは、高校に入っても自信を持ってプレーできる。ただ、この年代で試合に出られない選手は、高校に入っても自信なさげにプレーしてしまう」。現在は県U-15リーグにA・B・Cチーム、U-13リーグに1年生チームが参加。各チームを最少人数で編成し、選手たちに成長の場を設けている。

今季からAチームが県2部、Bチームが北信1部にステージを上げた。「日常のリーグ戦での強度が上がって、レベルの高い選手たちと切磋琢磨できるのはすごく大きい」。県2部では開幕から無傷の6連勝中(5月19日現在)。早くも県1部の舞台が見えてきた。

スタッフ陣も充実している。野澤氏を筆頭に、同じく元AC長野パルセイロの松尾昇悟コーチ、室川一樹コーチ、海野剛GKコーチらが在籍。昨季まではGKコーチがいなかったが、今季は海野氏の就任によって専門的な指導も可能となり、5月から新たにGKスクールも開設した。元プロ選手からの指導を受け、選手たちは日々刺激を得ている。

卒業後のルートとしては、県内でプレーを続ける選手が大半。野澤氏が指導する市立長野高校に入る選手も数多い。公立高校であるため、誰でも入部できるわけではないが、「アシさん(芦田徹監督)とは何年もやっているので考え方がわかっている。『高校年代になるとこの技術が必要だから、これは中1の間にやらないといけない』というふうに共有しながらやれるのは大きい」。今季の市立長野高校では、1期生の森山紋夢、久保田友惟らが主力としてプレー。彼らのように高校年代で活躍する選手を育てるべく、C.F.BARROでは個の成長に力点を置いている。野澤氏はフットサルのB級ライセンスも取得するなど、既存の枠組みにもとらわれていない。

現在はU-15県トレセンのチーフも務めている。メンバーには中信地域の選手も名を連ねているが、「北信の選手たちもベースは大きく変わらないし、個々のレベルは高い。最近はすごく強化されてきている」と話す。従来は中信地域がリードしている状況だったが、その構図も変わりつつあるようだ。

事務所に掲示されているチーム目標

指導の根幹としてあるのは、『誰からも応援される選手』を育てること。「もちろん自分がプレーしていて楽しいのも大事だけど、人の繋がりだったり、人を助けるというのがサッカーで一番魅力を感じるところ。それをかっこいいと思える選手が増えていくことが、長野県サッカーの活性化にも繋がると思う」と話す。C.F.BARROの選手は、その多くが北信地域出身。彼らがこの地域で育ち、サッカーを通して社会に貢献するのが野澤氏の夢でもある。

「このクラブを巣立って、他のチームで活躍して、生涯サッカーに携わってほしいという思いがある。県外に行っていろんな勉強をしてきて、またバロのスタッフとして帰ってきてくれても嬉しい。そうやってこの地域をサッカーの街にしていければ」。かつての指揮官に感化されて歩み始めた指導者人生は、北信サッカーの発展のカギを握りそうだ。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ