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今日8月31日は独立記念日-と言うことでムルデカ大会について書いてみます

今日8月31日は独立記念日、マレーシア語でハリ・ムルデカ(ハリは「日」、ムルデカは「独立」)で、マレーシア国民の祝日になっており、各地で記念パレードなども行われています。ただわかりにくいのは、今日はマレーシアの独立記念日ではないと言うこと。英国の植民地だったマレー半島、いわゆる「英領マラヤ」が1957年8月31日に英国から「マラヤ連邦」として独立したことを記念する日です。しかし現在のマレーシアは、マレー半島に加えてボルネオ島のサバ、サラワクで構成されており、マレーシアが成立するのは1963年9月16日なので、サバ、サラワクにとってこの8月31日は特に意味がある日ではなく、祝賀ムードも半頭部とは温度差があります。(ただし、英領マラヤ同様、英国の直轄地となっていたサバは、1963年のマレーシア成立に合わせて、1963年8月31日に英国から自治権を回復しているので、8月31日はサバの独立記念日として祝われます。)

前置きが長くなってしまいましたが、独立記念日がマレーシア語で「ハリ・ムルデカ」と聞いて、「ん、ムルデカ?どこかで聞いたことがあるぞ。」と思った年配のサッカーファンがいるかも知れません。それが、かつては日本代表も出場していた「ムルデカ大会」です。1957年のマラヤ連邦独立を記念して第1回大会が開かれたこの大会は、マラヤ連邦初代首相でもあり、同時期にマラヤサッカー協会(現マレーシアサッカー協会)FAM会長でもあったトゥンク・アブドル・ラーマンの肝煎りで始まった国際親善サッカー大会です。

そしてムルデカ大会が開催されたのがクアラルンプールにあるムルデカ・スタジアムです。1957年にマラヤ連邦の独立が宣言された、マレーシアの歴史にとっても重要な場所でもあるムルデカ・スタジアムは1998年にブキ・ジャリル国立競技場(クアラルンプール)ができるまでは、代表チームの本拠地でもありました。ムルデカ大会の他、オリンピック予選などでも使わレ、さまざまなドラマの舞台となったムルデカ・スタジアムですが、残念ながら現在は使用されていません。

話をムルデカ大会に戻しましょう。1957年に始まったこの大会は東南アジア最古の国際親善大会(およそ10年後にはタイでキングスカップが始まっています)として、北米を除く世界各地のクラブチームや代表チームが出場しています。第1回大会(1957年)の出場チームを見ると、マラヤ連邦の他は香港リーグ選抜、カンボジア、南ベトナム、シンガポール、インドネシア、タイ、ビルマとなっています。南ベトナム(現ベトナム)、ビルマ(現ミャンマー)といった国名に歴史を感じます。

日本が初めてムルデカ大会に出場したのは 1959年の第3回大会で、この時は1回戦で香港リーグ選抜と引き分け、再戦では2-5で敗れて2回戦に進めずに終わっています。日本代表の試合結果が掲載されている日本サッカー協会JFAのホームページによれば、敗れた香港戦での2ゴールはいずれも当時早稲田大学2年生だった(!)川淵三郎氏が決めています。

日本の最高成績は1963年に開催された第7回大会と1976年に開催されたでの準優勝です。いずれも7チームの1回戦総当たり方式で開催された両大会で、第7回大会は6試合で4勝1分1敗、優勝した台湾に0-2で敗れ、第20回大会では6試合で2勝4分0敗、決勝戦では優勝したマレーシアに0-2で敗れています。

また日本が最後にムルデカ大会に出場したのは1986年の第30回大会で、グループステージではチェコのSKシグマ・オロモウツに敗れてグループステージB組2位にとなった日本は、準決勝でA組1位のマレーシアと対戦し1-2で敗れています。ちなみにこの試合で日本のゴールを決めたのが「アジアの核弾頭」(ちょっと古いかな)原博美、マレーシアの2ゴールはMリーグ1部スーパーリーグのペナンで監督を務めるザイナル・アビディン・ハサンと同じスーパーリーグのスリ・パハンで監督を務めるドラー・サレーでした。日本はこの後、1985年から名称が変わったキリンカップを使って自国開催大会を使っての代表強化に舵を切りつつあったことから

そして私が始めた観戦したムルデカ大会が1988年の第32回大会でした。先日、本棚を整理していたらこの32回大会の大会プログラムが出てきましたので、まずは表紙の写真をお見せします。タバコブランドのダンヒルが大会のスポンサーと言う、今では考えられない、古き良き時代でした。

 

この32回大会の日程と出場国は以下の通りでした。

今では考えられませんが、ムルデカ大会やキリンカップなどの当時の国際大会は、ナショナルチームとクラブチームが混在する大会でした。この大会も上の出場国中、オーストリアはFCチロル・インスブルック(この記事を書くために調べたところ、2002年に破産し、解散していました。)、ドイツはハンブルガーSVがその肩書きで出場しています。下がハンブルガーSVの紹介ページですが、マンフレート・カルツ、後にJリーグ浦和でプレーするウーベ・バイン、当時はまだ20歳のオリバー・ビアホフなどの名前が見えるのが興味深いです。

そしてマレーシア代表。なお、チームマネージャは当時のパハン州皇太子、現在はパハン州のスルタン(州王)で現在のマレーシア国王でもあります。


そんなムルデカ大会ですが、1990年代に入りアジアの各国代表がFIFAワールドカップやAFCアジアカップの予選などに注力するようになると、1957年の第1回から毎年開れた大会が隔年開催となり、さらに参加するチームも東南アジアの代表チーム、さらにA代表ではなくU23代表の大会になるなど大会の「格」も下がり、2013年にタイ選抜、ミャンマー、シンガポールを招いて行われた第41回大会を最後に開かれていません。

後発のキングスカップやキリンカップが続いている一方で、アジア最古の大会とも言えるムルデカ大会が開催されないのは、大会そのものの魅力の低下による観客減、代表チームやクラブチームの日程の過密化など、様々な要因がありますが、何と言っても代表チームの弱体化が大きな理由でしょう。つまり、直近のFIFAランキングで147位のマレーシアが主催する大会に出場したいナショナルチームがどれだけあるのか、と考えるとムルデカ大会が再び開催されることはもうないのかも知れないと、65回目のハリ・ムルデカに思いました。

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